街中を歩く父と母の後ろ姿

年末年始のご挨拶が出来ていないまま

あっという間に2月を迎えました

遅ればせながら

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

新年を迎え4日に最愛の父が86歳でこの世を旅立ちました コロナ禍で親子で看送ることが出来たことを幸せに思います。

大きな病気をすることなく食べることが大好きで健康で趣味の絵を描き仲間と出掛けたり回りの方からも若いとよく言われていた元気な父でした

85歳春リュウマチを発症し生きていたくないと思うほど辛い症状になりましたが薬以外に酵素ドリンクやペースト、食物繊維ドリンクを摂り、腸内環境を整えたことで医師も驚くスピードで完治 数ヵ月に1度血液検査をしましたが異常はなくいつもの暮らしに戻ることが出来ました。

そして昨年11月末ごろから、大好きなお酒も食事もどんどん出来なくなり、体のだるさ、ムカつき、腰痛により1日の大半寝たきりになっていきました。掛かり付け医に診て貰い、胃カメラや整形外科を紹介され検査もしたけれど問題は見つからずでした。

高齢者うつも疑い相談に出掛けたり、整骨院に行ったり…

水分を摂ると嘔吐、出すものがないけれどトイレに行きたがり苦しむようになり。ベットから起き上がることすら腰痛が酷く辛い日が続き何も食べれない飲めない状況が続くようになりました。かかりつけ医が点滴をしに来てくれ市民病院を紹介してくれましたが診察に行った際(12/12日)倒れ緊急入院。あまりに衰弱している為、検査も出来ないため回復をみてからと言われ。入院した翌日にラインがあったきり父からのメッセージは届くことはありませんでした。

セカンドオピニオンも検討し準備

12/22日病院に呼ばれ3人の医師から父の状況を聞くことになり判断をせまられました。

直腸癌、多発性骨髄種、腎不全が見つかり、父の衰弱、体力、病の進行状況からは、なす術はない状態 延命治療をするかいなか…

信じられませんでした。

腎臓の医師のみ透析の為のカテーテル手術を薦めましたが治る見込みもない、楽になるとは限らない、手術のリスク、更に衰弱させることを選択することは出来ませんでした。そして、とても悔しくて悔しくて爆発しそうでした。

父の痛み苦しみを少しでも取ってあげる選択緩和治療することを決め、幸いにも翌日個室が空き、1日15分の面会が許され毎日通い会える嬉しさと辛さの交差の中、私がすべきことの1つは母と兄の食を考え手作りし3人でしっかり食べること。今まで大切にしてきたことを今こそやらなくてはと。毎日作り続けました。

24日から4日までの12日間、父に声をかけ、時に会話が出来たこと、看護師や担当医に本当によくしていただけたこと 親戚の兄夫婦はじめ友人にも助けて貰い支えられていたこと感謝しかありません。

あまりの展開の早さに、未だ父がこの世にいないことが信じられませんが、父が私に残してくれたことを大切に受け継ぎ前に進みたいと思います。

今まで、いっぱいありがとう

私はあなたの娘で幸せです。

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